大阪が見た戦争についての展示を行い、大阪の戦争体験を伝えます。
50回以上に及ぶ大阪空襲の実態を明らかにするとともに、戦時下の生活の具体的な再現を通して、国内における戦争の悲惨さを実感できるようにしています。


食料、燃料、衣類など、生活必需品など不足していることがあたりまえの日常になっていた。しかも灯火管制で夜は暗く、毎夜のように空襲のサイレンが鳴り響いた。
1945(昭和20)年3月ごろ。戦前、大阪随一の繁華街を誇った戎橋筋界隈の空襲の惨状。


防空壕の多くは実際の空襲に耐えられるものはなく、そのほとんどは人が避難する場所というより、貴重品や食料の保管庫として使われていた。