太平洋戦争末期、大阪には50回を超える空襲がありました。
そのうち、爆撃機B29が100機以上来襲した空襲を「大空襲」と呼んでいます。
第一次大阪大空襲は、1945(昭和20)年3月13日から14日にかけてありました。
大阪の観光名所である「グリコ」や「かに道楽」のある大阪ミナミ地域も
焼け野原となりました。
3月13日~14日は、大阪市内の多くの国民学校で卒業式が予定されていましたが、
空襲によって卒業式が中止となり、卒業証書ももらうことができませんでした。
ピースおおさかでは、当時、卒業証書をもらうことが出来なかった方々に
卒業証書を授与する「幻の卒業式」という行事を開催していました。
第一次大阪大空襲から74年。
当時を知る方々から体験談を聞く機会も年々少なくなってきています。
2月のウィークエンド・シネマでは、
1946年に米戦略爆撃調査団が撮影したカラーフィルムをもとに
制作された記録作品を上映しました。
大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアムとして、
一人でも多くの方に知っていただけるよう、
ピースおおさかは、これからもがんばります。