毎週土曜日に開催している映画上映会
9月は、映画「海でなくてどこに Where But Into The Sea」(72分)を上映しています!
マリアと弟マーセルは、1939年9月、ナチスによるポーランド侵攻にともない、家族とともに故郷のポーランド・ウッチを離れることに。
杉原千畝が発給した日本通過のビザを手に、敦賀、神戸、そして日本占領期の上海へ。逃避行を続ける彼女らが最後にたどり着いた場所は…。
歴史とアートの融合プロジェクト「マルリカプロジェクト」の中で制作された、姉弟の生き残りをかけた旅の軌跡をたどるドキュメンタリー作品。
【監督・撮影・編集】大澤未来
【企画・調査研究・歴史考証】菅野賢治
☆ピースダイアリーでは見どころをもう少しご紹介します。
第二次世界大戦中、ユダヤ人たちは大きな危険にさらされ、国や故郷から逃げることでしか命を守ることができませんでした。
避難するためには最終目的地のビザに加え、目的地までに通過する国の”通過ビザ”が必要となっていました。
このとき日本通過ビザを発給したのが、リトアニアの日本領事館領事代理として赴任していた杉原千畝でした。彼はこれにより多くのユダヤ難民を救い、「命のビザ」として今も広く知られています。
では、命のビザを手にした人たちは、その後どのような人生を送ったのでしょうか。
本作は、マリアとマーセルの証言をもとに、ユダヤ難民たちが滞在していた場所を訪ね、当時を知る人や関係者へのインタビューで構成されるドキュメンタリー。
マリアとマーセルは、リトアニアからロシアを経由し、日本に初めて上陸した時を振り返ります。
その後難民たちは日本に滞在することになり、当時の生活の様子について証言やエピソードが紹介されます。
マリアたち家族も、敦賀そして神戸において、支援を受けながら暮らすことができました。
しかし1941年、戦況悪化にともない、日本から退去させられることになりました。
行き先は日本占領下の上海。作中では難民たちの上海での生活について、当時の痕跡を辿っていきます。
マリアとマーセルは多くの困難を乗り越え、生き延びることができました。
マーセルは過去の経験を踏まえ、自分を“流される木片のようだった”と語ります。
そしてドキュメンタリー終盤、マリアは視聴者へのメッセージを求められます。
ところが、彼女の回答は意外なものでした。
ぜひご覧ください
ピースおおさかでは、特別展「キュラソー・ビザ ―ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点―」を9月22日(日)まで開催しています。
命のビザの原点となった「キュラソー・ビザ」。それを生み出した中心的存在であるヤン・ズワルテンダイク・オランダ領事をはじめとした人々に着目し、その知られざる物語を紹介しています。
今も、世界では戦争や迫害によって故郷を追われている人々がいます。
展示や映画を通じて、これらの問題に理解を深め、私たちに何ができるか考えてみませんか。
ウィークエンド・シネマは予約不要(当日先着順)です。
皆さまのご来館お待ちしております!
上映日時:9月21日、28日 各日 午後2時から
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